日本橋から中山道を歩き、各宿場(跡)の写真を中心に掲載いたします。
旧中山道に残っている「本陣・脇本陣(跡)」「茶屋本陣」や「一里塚」「史跡」など気になったものを掲載いたします。
本陣1、脇本陣2、旅籠17と、小さな宿場であった
「入り鉄砲に出女」の取締りを主とした要所で、門柱や門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものである。
通行人が手をついて手形を出した「おじぎ石」がある。
「二手橋」を渡り、「軽井沢ショー記念礼拝堂」を過ぎ、「芭蕉句碑」(写真右)を左に見て、「軽井沢宿(旧軽井沢)」に入る。現在は観光地として綺麗に整備され、宿場の雰囲気はあまりない。
本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠21軒有ったらしいが、「アートカフェ 脇本陣 江戸屋」が名を残している。
追分宿から小田井宿の中間に「御代田の一里塚」が残っている。現在の道から少し入った場所に一里塚があり、写真左の狭いあぜ道のような道が旧中山道だった。
本陣・問屋場が宿のほぼ中心部にあった。
塩名田の「河原宿」には、情緒豊かな三階建て住居群が残っている。
松井田には、本陣も脇本陣も残っていない。
北条流の典型的な中世の山城、松井田城址があった。
西松井田駅の近くの旧中山道沿いの竹やぶの中にひっそりと新堀一里塚の案内板がある。
坂本宿は、両側に本陣・脇本陣・旅籠・商家など160軒ほどで賑わっていた当時がしのばれる。
中軽井沢の沓掛宿は、それらしい雰囲気がほとんど残っていない。追分宿との中間の遠近の里に「遠近宮(おちこちみや)」がある。「信濃なる浅間の岳に立つけぶり、をちこちの人の見やはとがめぬ」と在原業平が詠んだ歌にちなんで「在原業平遠近宮」と浅間さんが改められたとのこと。
小田井宿は、多くの建物が当時を偲ばせる。「本陣跡」や「問屋跡」も雰囲気がある。
集落に入ると最初に地名の由来となった1491年に建立された八幡宮がある。
中心部に皇女和宮が泊まった八幡本陣跡がある。
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